なんだか世の中を息苦しく感じるときってありませんか?
日本特有の「みんな一緒・横並びの精神」が災いしているからでしょうか。
それとも「自分はみんなとは違う」と自己愛ばかりが強くて他人を思いやる気持ちの乏しい人が増えたからでしょうか。
最近「この国には子供が必要なはずなのに子供とうまく共存しようと思う人って少ないよなぁ」とよく思います。
子供は確かにうるさいです。危ないことも平気でします。いたずらもします。好奇心も強いです。大人の言うことを聞かないこともたびたびあります。でも、子供ってそういうものです。みんなそんな時期があって大人になるんです。
独身の若者も子育てをとうに終えたお年寄りも、みんなが今の子供達に寄り添って生きていくことって難しいんですかねぇ。
青山の児相建設についての説明会での住民の発言
東京都港区南青山の児童相談所建設に関する説明会で、近隣住民から「青山のブランドイメージが下がる」など反対意見が相次いだ件、記憶に残っている方も多くいらっしゃると思います。
「児童相談所ができることによってイメージが下がる?子供を救うことよりもその土地のイメージの方が重要だと考える大人が多いの!?」と、何でそんなことが簡単に言えてしまうのか感覚が全く分からないのですが、事実反対派はそのような意見を持つ方が多いそうです。
中でも3人の子供を持つという母親が、「意識の高い公立小学校に子どもを入れるため、億を超える投資をして家を建てた。南青山はお金を稼いで住むべき土地。ブランドイメージを守ってほしい」と意見を言うと拍手が沸き起こったというから複雑です…。
確かにそこに住むためにはたくさんの努力とたくさんのお金が必要だったのでしょう。富裕層の多い地域でしょうし「青山在住、青山出身」というのがステイタスなのかもしれません。
そんな地域に児相を建設し、困窮や虐待など問題を抱えた子を迎えることはその子に惨めな思いをさせるだけでは、という意見も出たようですが、私には相手のことを気遣うふりして暗に攻撃しているだけのように感じられてなりません。
自分の子さえよければ他人の子供はどうでもいい、ここにはそれ相応の人しか立ち入りはできないんだ、と。
確かに平穏な暮らしを何かで邪魔されるのは誰にとっても嫌なことですが、「嫌なものは嫌!」で済ませずにもっと根本の、人は人を支えながら、支えられながら生きているんだよってことを一人一人が意識していくともう少しうまくいくのかなぁなんて思ったりしています。
そんな中で「自分の子どもの幸せも、周りの子どもが幸せであってこそ」と、児相設置を求める発言をされたお父さんがいらっしゃったそうです。「将来、子どもが大きくなった時に、ブランドイメージ低下との理由で反対したなんて説明できない」と。
このお父さんは、お金のみならず心も豊かな方なんだろうな、と感じました。
反対派は反対派でそれ相応の理由がありそれをここで否定することはできませんが、このお父さんのような「周りを見渡せる大人」が一人でも多く存在することで世の中が少しずつ変わっていくような気がします。
この件のみならず、千葉県では保育園を建設しようとしたら「子供の声でうるさくなるから嫌だ」「送迎の車で渋滞するから迷惑だ」など近隣住民からの反対の声が上がり中止になった事案もあり、この国の現状は子育て世代や子供達には厳しい環境だと思わざるをえません。
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