子どもの意思決定能力を伸ばすためには「子どもに選択させる」という選択が欠かせない。

生活

人生は取捨選択の繰り返し。

それは大人になってから起こることではなく、人として誕生した時点から始まっていることです。

まだ赤ちゃんの頃は意思表示もままならないため、親が代わりに考えベストな選択をしますが、ではいつまで親がその役目を担うのでしょうか。

選択したくない若者が増加

世の中では最近「決められない男子」が増殖しているとのこと。

レストランのメニュー、デート場所、どこに住むか…などなど、小さな問題から大きな問題まで様々「決められない」のだそうです。

人生最大のイベントとも言える結婚は、相手が本当にこの人でいいのか悩み迷う気持ちはよくわかりますが、毎回ランチの時間に何を食べるか決められないとなるとこれはかなり重症では…と感じます。

決められない理由は「絶対に失敗したくないから」。

根底に、失敗することで後悔したくない、自信を失いたくないという感情があるようです。

「選択しないという選択肢があっていい」というある種の風潮もある様子。

なるほど…と思いつつも、取捨選択する力は幼いころから身に付けていかなければならない事項だと感じています。

子どもに選択させるということ

子どもに何かを選択させる。

これは子どもが成長していく上で最も必要ともいえる能力を身に付けさせる行為です。

自分が選択したものを周りが受け入れてくれて実行してくれる。

これは、

自分に自信を持つこと・自分を好きになること

とイコール。

心が満たされ、その選択を受け入れてくれる親との絆も深いものになっていきます。

また、自分で色々選択ができるため、「自分が興味のあること」「自分のやりたいこと」が早い段階から明確になり、考える力がどんどん身についていきます。

それに伴い自己肯定感も強くなるため、積極性や探究性に繋がります

幼い頃に何かに没頭したという経験は将来の大きな糧となるため、とても貴重で尊重すべき時間と言えるでしょう。

二者択一ができるようになったら…

子どもの成長には個人差が大きいですが、大多数が1歳代で言葉を話し始め、2歳代で二者択一ができるほどに意思が備わると言われています。

自分でどちらかを選べるようになったら、「牛乳かお茶、どっちがいい?」「歩いていくかベビーカーかどっちがいい?」「赤い服か青い服、どっちがいい?」など身近なことから子どもに選択させて練習しましょう。

年齢が上がるにつれて三者択一、四者択一…と選べる数が増えても対応できていきます。

この小さな積み重ねが、やがて来る“大きな選択”のための欠かせない練習法となるのです。

選択権のない子ども

今度はそれとは逆のお話を。

いくら子どものためだと思ったとしても「みんながしているからやらせる」とか、「親の経験値からの判断で子どもの意思と反する選択をする」ということは、子どもにとってはマイナス要素。

将来にわたり親への不信感や自信のなさとして後遺症を残すことになりかねない行為であることに気付いていない親が多すぎます。

増加の一途をたどる登校拒否や引きこもりは、本人の問題以外にも家庭に問題がチラついていることも多く【過干渉・過保護】な家庭が目立ちます。

子どもの人生を親が先回りして安全だと思えるレールを敷き、そこに子どもを乗せる。

そこに子どもの意思はなく、ただ親が理想を押し付けているだけだとも気付かない。

このような家庭だと、幼いころから子どもには選択権自体がないため、取捨選択が極端に苦手だったり、自分への自信のなさが顕著であるなど、問題が将来浮き彫りになってきます。

本当に子どものためですか?

ここで興味深い記事をご紹介しますね。

ある時、私はあるご家庭とロシア料理を食べに行った。メンバーは50代の父母とその大学生の息子、私である。父親は私にご馳走してくれる気、満々でその店で一番高いコースを勧めてくれた。確か、壺焼きが付いていて、その中身が蟹だったりベーコンだったり、チーズだったりで7種類くらいから選ぶシステムだった。

その息子は少し迷って「ベーコン」を選択した。すると父親がこう言ったのだ。

「なんでベーコン? この場合、(正解は)蟹だろ? 蟹?」

今度は母親がこう応じた。

「そうよ、せっかくなんだから蟹にしなさい、蟹に!」

その息子がこう言ったのを私は忘れない。

「じゃ、蟹で……」

その場で「大変だね、君も」と応じた私にその息子が今度はこう言った。

「まあ、いつもどおりですよ。(俺の)意見は(通ら)ないんで……」

親子の暗黙の了解にクビを突っ込んでしまったバツの悪さたるや。ただ、この私が感じた「違和感」をこの子の両親は露ほども感じていないことだけは確かだ。その場で一番価値が良いものを選択して、それを勧めて、それを掴ませる。何が問題だろうか? という態度であった。

私が言うまでもなく、人生は常に取捨選択の連続だ。プライオリティーを自ら決めて、実践していく、人生はその繰り返しなのだ。その中で自分自身の価値観、やり方を学び、構築していくのである。

この息子によると小さいころから自分には選択権がなく、勇気を出して申し出たとしても「正論で潰される」。いつしか自分の意見はなくなったと言う。

参照:食っていけない子どもが育つ「家の環境」

親は子どものためにとやっているのですが、この子どもは幸せそうでしょうか。

結局このお子さんはこのような環境にずっといる間に、自分がやりたいことすらわからない、無のような感情になってしまったそうです。

私達は、子どものためにとやっていることが単なる「押し付け」になっていないか、たまには立ち止まって考える必要があると言えそうです。

おわりに

子どもに選択権を与えることは、小さいうちは簡単だとしても成長してくると難しい局面も出てきます。

ランドセル選びなんかがそうですよね。

子どもがキラッキラのランドセルを選択したとしても「いや…低学年のうちはいいとしてもだんだん恥ずかしくなってくるよ…」と親は悶々としてしまいます。

何とかうまいこと言いくるめてもう少し落ち着いた別のランドセルを選択したという話はもはや定番。

子どもに選択肢を与えつつ、でも丸投げではない。

将来の大きな失敗にならないためにうまく導いてあげることも親の務めだなぁと思います。

子どもも最初からいい選択ばかりするわけではありません。

親としては反対する気持ちに駆られてしまうこともあるでしょうが、「子どもに選択させることを選択したのは自分だから」と割り切りましょう。

親の「むやみに口を出さない努力」が子どもを成長させる一番の方法かもしれないですね(笑)。

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