子供と過ごす時間の中で、子供の言動にイライラしてしまったときにどのような対応をしていますか?
冷静に叱らなければいけないと分かっていてもつい感情が先に立って大声で怒ってしまったという経験のある方も多いのではないでしょうか。。。
何より怖い「習慣化」
子供を怒鳴った後で「しまった…」と反省したとしても、また次もつい怒鳴ってしまいまた反省…。
これが繰り返されるようであれば「子供が悪さをする→怒鳴る」というパターンが自分の中に組み込まれてしまっていることになります。
これの1番厄介なところは
・子供が何かをしたときに感情を抑える間もなく反射的に怒鳴ってしまう
・怒鳴ることに親が慣れてしまい、怒鳴ることに対しての抵抗が薄れる
という2点です。
そもそも冷静に伝えればいいことを怒鳴るという行為でやってしまうのはなぜなんでしょう。
大きい声を出して怒りを発散したいから?
怒鳴れば子供が動くから?
だとすると、それって本当に子供のために怒っていると言えるのでしょうか。
親の言動が引き起こす「子供の思考停止」
大切なのは子供のとった言動を、それが適した行為だったのか子供に考えさせること・改めさせることだと思うのですが、怒鳴ることで子供の心に親の声が響くのかどうかは正直微妙です。
一時的に言うことをきいたとしても、怒鳴られたことへの驚きや恐怖で「何かものすごい怒ってるから今は言うこと聞いといた方がいいかな」と、とりあえず言うことを聞いてみる、という子が多いのではないかなーと思います。自分のしたことを考えるどころか、親の言うことにただ従うだけ。
とは言え、とりあえず言うこときいたから良しとしよう!!…で満足する方は要注意!!
ちょっと考えてみてください。
例えばこれが日常繰り返される行為だとしたらどうでしょう。
誰だって怒鳴られるのは嫌ですから、そうならないためにはどうしたらいいか考えます。大半の子供がたどり着く答えが「親の言うこときいていれば楽だし怒られなくて済む…」でしょう。
怒られない為にやらない、怒られないために反抗しない、怒られない為に我慢する、怒られない為に…、怒られない為に…。
親からの怒りが頻繁であればあるほど子供自身も怒られる恐怖やストレス、押し付けられる要求で自分の気持ちを押し殺し、言われ続けることで頭が混乱してきます。
親としても怒鳴れば言うことをきくと思い込んで、普通に叱ればいいところをわざわざ声を荒げてしまう…。
家族という人間の基礎となる小さな集団の中で、子供が委縮しながら自分のしたいことも言いたいことも口にできないままだとしたら…。当然ながら学校や社会でも自分の意見を出せず、本音も出せない。人と接することを苦痛に感じ、最悪外部との接触を避けることも考えられます。
あなたが「我が子に幸せな人生を送ってもらいたい!」と心から願う親だとしても、その言動一つで子供の活力、好奇心、自我、親子の信頼関係までも奪ってしまう原因になりかねないのです。
本当に怒鳴らなければならないことなのか?
親が怒鳴り散らしてまで怒らなければならないとしたら、
・自分や他人を傷つけようとしたとき(実際傷つけたとき)
・人の嫌がることや迷惑になることをした時
などの行為をした時でしょう。
私もそうなのですが、子供にイラッと来る理由って自己都合が作用していることって結構ありませんか?
例えば…
何かをこぼした→ただでさえ忙しいのに何で手間を増やすの?
早く寝ない→早く寝かせてホッとしたい
遊びをやめない→予定があるのに時間がなくなる
宿題しない→先生に怒られるのは親としても恥ずかしい…
などなど、子供のためというよりは自分のためにこうして欲しい、ああしてほしい、と要求しちゃっている気がします。100%子供を思って怒っているのかと言われれば実はそうでもなくて、親自身が疲れていたり、ストレスが溜まっていたり、時間がなかったりなど、心の余裕がないことに起因していることがほとんどだと言えます。
ちょっと見方を変えるだけで感じ方は全然違ってくるのに、反射的に子供を怒ることが多いな、と反省しきりです。。。
さっきの例でいうと
何かをこぼした→拭くだけ(自分でできるなら拭かせればいい)
早く寝ない→次の日辛いのは本人
遊びをやめない→それだけ夢中になって遊べる集中力を褒めたい!
宿題しない→困るの本人だからほっとく
パッとこんな発想の転換ができれば、子供との関係も少し和らぐかもしれませんね。
とは言え、今までの思考を突然変えるというのも実際は難しい話でしょう。
1日1つでもいいのでその日子供を怒ってしまった内容を思い出して、
・本当に怒るべきことだったのか
・発想の転換をするとどのようになるか
を考えてみてください。
自分の行動を日々振り返ることで、思考に少しずつ変化を感じることができるはずです。
怒鳴ること全てがダメなわけじゃない
今まで書いたことと相反するようですが、私は「怒鳴ること=悪いこと」とは認識していません。
先に述べたように人や自分を傷つける、他人に迷惑な行為をする、などの時には声を荒げることはむしろ自然だと考えていますし、小さい子供が左右見ることなく車道に飛び出そうとしたときなどには怒鳴って怒り、その恐怖感から次からは車道に飛び出さなくなる、という手段も命を守るためにはアリだと思っています。
ダメなのは、
①頻繁に
②子供の為ではなく
③親の都合のために
怒鳴ること、です。
裏を返すと
①大事な場面で
②大人の都合ではなく
③子供(もしくは他者)の為を思って
怒鳴ることはむしろ必要だと思っているくらいです。
国会では親から子供への虐待を防止するべく「しつけの際の体罰を禁止」する法案が成立しています。言うまでもなく親が子を虐待死させる事件が増加傾向にあるからですが、近年子供を私有物、管理、支配する親が目立つ傾向にあります。
子供を親の意のままに動かすために暴力を振るい、恐怖心を植え付け管理・支配するのは本当にいけない。これは怒鳴ることにも共通している部分で、意のままにするために怒鳴りつけて脅すようなことは絶対ダメです。
親が「子供の為に、子供の周りの人たちのために」を主語にすれば、少しずつ子供への怒鳴りも減ると思います。
とは言え、子育てしていればつい感情的になって声を荒げてしまうことも多々あるでしょう。
もしあなたが「子供にカッとなりやすい」のであればそれを自分自身で自覚し、怒りのスイッチが入りそうなときに一瞬でも自分を客観視してみましょう。今から子供を怒ろうとしている自分の姿を想像するだけでも抑止力が働きます。怒鳴らなければいけないことか、それは子供の為になるのか…。子供に話さなければならないことは、冷静さを取り戻してから伝えるのが賢明です。
冷静に…と意識していたとしても「あんな言い方しなければよかった…」と後悔することも時にはあるかもしれません。そういうときは迷わず子供に「さっきはあんな怒り方してゴメンね」と謝りましょう。謝ることで「自分は子供に適した行動をしていなかった」と自身で再認識でき、さらなる自己抑止力に繋がっていきます。
初めから「いい親・理想的な親」を目指すのではなく「子供の成長と共に少しずつ理想とする親に近づく」くらいがちょうどいいです。
「育児」は「育自」とも言われています。
子供だけでなく、親も子育てを通じて自分を育てる期間です。
少しでも親子が良い関係を築けるように、怒鳴る自分を変えていくために、日々努力と工夫を重ねていきましょう。
おわりに
子育てって本当に難しいですよね。
特に今の時代は怒らない子育てが流行っているからなのか自分の怒りなどの感情を子供の前で出すことが悪のように思われている部分があり、すごく難しい子育てを強いられている気がしています。
子供にイライラさせられるのは子供が私に気を許しているからだろうと分かりつつ…。幼い頃思い描いていた理想の母親像とは全然違う自分に嫌気がさすことは日常茶飯事ですが、日々に流されて変わろうとする努力を怠っていてはいけないと痛感しています。
子供はどんどん成長していってしまう。
子供が大きく成長する前に自分も成長して、ここはダメだと思う習慣を取り除いていきましょう!
怒鳴らない子育て、今日はできるかな。
良かったら参考にしてみてくださいね。
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